LGBTだからって、差別されているものなのか? (ysy #5)
僕には被差別的な意識はありません
“LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか”
これは話題になった 月刊誌『新潮45』8月号に、杉田水脈衆院議員が寄稿した文章の一部です。
この日本でLGBT当事者がカミングアウトをしたとして、どこか別の国のように、石を投げられたり、リンチに遭うことはありません。
絶対!
…とは、言えないかもしれませんが(^^;
僕がLGBT当事者のゲイとして生きてきた肌感覚ではそうです。
※ゲイですが、そのことを公言して生きているわけでもありませんが…。
正直、突き詰めて考えるまで「LGBT=被差別的立場」という構図は、当事者ながらあまりピンときませんでした。
昔、嫁いだ女性が子供を産めない体であると分かると、郷に帰されたり…
女児しか産めなかった女性に対し「女腹」と蔑む風潮があったと聞いたことがあります。
これは今の常識で言うと、立派な女性差別だと思います。
しかし、当時の彼女たちはこれを
「差別だわ!あいつら間違ってる!!」
と思ったでしょうか?
恐らく「仕方ない。私が悪いんだ。世間とはそういんものなんだ」と受け入れてしまう女性の方が多かったんじゃないでしょうか。
きっと僕が被差別意識を持っていないのも、当時の彼女たちと同じように、知らず知らずのうちに…
「世間というのはそういうものなんだ」
「公言さえしなければ…バレたりしなければ、他の“普通”の人と同じように生きれる」と感じていたからでしょう。
最近はある程度の年齢に達しても、結婚しない人が多いように思われます。
“結婚しない=同性愛者”という、ひと昔まであった方程式も今となっては、比較的当てはまりにくいものになってきたように感じます。
だからより一層「コソコソと生きていけさえすれば、“普通”に生きていける」と感じるのでしょう。
そして差別がないように感じる。
「将来必ず同性のパートナーと結婚したい!」と強く願う立場でもないですし、尚のこと被差別意識は感じません。
感じませんが…
新しい家族のかたち
そんな僕は声高に
「同性愛者にも結婚をする権利を!」
と叫ぶ人たちに対して、当事者でありながら若干冷ややかな目で見ていました。
「その価値観をこの国が認めるわけなじゃん」
「世間的にはどうせ僕らは“キワモノ”」
という感じでです。
そんな日々の中で、たまたまつけていたテレビの番組で、子育てをするレズビアンカップルを目にしました。
同じ「同性愛者」ではありますが、普段僕は、レズビアンの方とは特に付き合いがありません。
テレビで初めて「子育てをする同性愛者」を見ました。
番組で登場したA子さんは、前夫との間に子供(Cちゃん)がいました。
離婚しA子さんがCちゃんを育てることになりました。
A子さんはその後、B子さんと知り合って付き合うようになり、めでたく一緒に住むことになりました。
B子さんはCちゃんのことも愛していて、とても素敵な家庭を築いているように見受けられました。
しかし、A子さんとB子さんは結婚することができないため、B子さんとCちゃんは法律上、あかの他人。
そのため例えば、Cちゃんが病院にかかるときや、保育園にお迎えに行くとき等々…
B子さんも子育てに協力したいのに、蚊帳の外になることがしばしばある…とのこと。
それを見たとき、率直に
「彼女たちが親として認められないのは、おかしいんじゃないか?」と思いました。
きっと中には、「将来学校でいじめられたらどうするの?」という意見もあるでしょう。
しかし、それはこそが同性カップルに育てられた子供に対する差別だと思います。
同性愛者=キワモノ
キワモノに育てられた子供=キワモノ
…という意識が、無意識に刷り込まれているから、そのように感じるのだと思います。
それと、「夫婦に育てられてる子供が愛されていて、婦婦(ふうふ)に愛されている子供は不幸せ」という感覚もよく分かりません。
恐らく何らかの偏見や誤解があるんじゃないかと思います。
シングルマザーとして子育てをすることが、認められつつある昨今。
従来のような「サザエさん」的家庭もありだし、核家族もありだし、シングルマザーだってシングルファザーや婦婦や夫夫(ふうふ)による子育てだって…
子供に十分な環境や愛を与えることができれば、それでいいのではないかと感じました。
LGBT活動家らに対する意識
そのような状況が、この日本にあることについて、メディアを通して知り、LGBT活動家に対するイメージが僕の中で少し変わった時期のことでした。
LGBTアクティビストである「東小雪さん」と当時恋人であった「増原裕子さん」が民放のとある番組に出演。
当時、東京・渋谷区で始まろうとしていた
「同性パートナーシップ条例」について議論するためでした。
その際、同性婚賛成派の東さん・増原さんと、自民党議員との話しを聞きながら、自分の中で意見が少しずつ変わっていきました。
以下引用
増原
「渋谷区の件って、戸籍制度とか婚姻制度とかに手をつけるのではなく、具体的な困りごとがあって、それを解決しようとする方向」
柴山議員
「それは渋谷区の中で議論することなのか、やはり家族制度として全国的に議論することなのか。地域ごとに文化とか違いがあるかもしれないけど。そうじゃないと、渋谷にそういう人たちが集中するとかね」
東
「渋谷に同性愛者がたくさん住んでいたら、どんな問題があると思われますか?」
柴山
「問題があるというよりも、やっぱり、そこに社会的な混乱というのは生じるんじゃないですかね」
東
「どんな混乱があると思われますか? 私は今渋谷に住んでいるんですけども」
ミッツ
「生理的な混乱ですよ。嫌悪」
大竹
「ふつうに暮らしてる人たちが、ってことでしょ」
ミッツ
「害はないけど、不自然なものに対して、うわっ…て思ってしまう人がいることは事実。それは受け入れるというか認めながらも共存していかなければいけない」
gladxx ( http://gladxx.jp/news/2015/03/4148.html ) より引用
僕は最初、どちらかと言うと柴山議員寄りの意見でした。
このやりとりを聞いていて、もしかしたらこの国の人はLGBT当事者の人も含め、無意識のうちに差別したり、差別されていたりするのかな?
と感じました。
別に悪意や嫌悪がある、ないに関わらず、自然と刷り込まれた考え方の中で差別をしてしまうんだと思います。
差別とは?
そもそも、差別とは何でしょうか?
辞書で調べると…
【差別】
《名・ス他》
1. 1
差をつけて扱うこと。わけへだて。
「―待遇」
2. 2
区別すること。けじめ。
「商品の―化を図る」
…と、このようにあります。
嫌悪感や憎悪のようなものがなくとも、“差をつけて扱った”時点で差別となるのだとしたら、現在この日本でも“LGBT”に対する差別はあるでしょう。
先ほど例に出した、子育てをするレズビアンカップルの他にも、様々な場面で差をつけて扱われた事例は、いくつでもあります。
ちょっとネットで調べると下記のようなものがありました…。
- 40年以上連れ添ったパートナーの火葬に立ち会えず、共同経営の会社も親族に奪われるという不条理に対し、ゲイ男性が裁判
OUT JAPAN Co.Ltd. ( http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/4/8.html )より
- 愛する人と日本で暮らしたい。22年間、不法滞在を続けた男性が国を訴えるまで
BuzzFeed News ( https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/international-lgbt-couple-lawsuit ) より- 犯罪遺族給付金 同性が求め提訴 殺人被害パートナー、全国初か 名古屋地裁
毎日新聞 ( https://mainichi.jp/articles/20180710/ddq/041/040/005000c ) より
いずれも同性カップルにも異性カップルと同等の権利があれば、起きなかった問題です。
特に最後の「犯罪遺族給付金」の問題ですが、異性カップルであれば、婚姻関係を正式に結んでいない内縁の妻(夫)に対しても、遺族とみなし支払われている給付金です。
この件で言えば、パートナーが女性であれば支払われていたわけです。
僕にはこれが「差をつけて扱っている」ように感じます。
LGBTと教育
「LGBTに関する教育をするべきでない」
という意見をお持ちのようです。
この動画の中で
「同性愛者の自殺率は、異性愛者の6倍も高いと言われた」
と笑って話す彼女に大きな矛盾を感じます。
現在、海外だけでなく日本でも
沢山の若者がLGBT当事者であることを理由に、自殺を図っているのでは?と考える人がいます。
以下引用
欧米の調査では、同性愛者の自殺企図率がそうではない人と比べて数倍高いという結果がくり返し報告されています。
LGBTと自殺に関する調査研究は数多く行われていますが、過去20年間の文献をレビューした結果、(米国の高校生全体の自殺企図率が7~13%程度と推定されるのに対し)思春期のLGBの自殺企図率については一貫して20~40%程度の数値が報告されていると、ある米国の文献で述べられています。
日本でも、LGBTの自殺念慮や自殺未遂については研究調査の結果があり、それを見ると欧米同様に日本も深刻な状況にあることがわかります。
NHKオンライン ( https://www6.nhk.or.jp/heart-net/mukiau/shirou4.html ) より
亡くなった方に自殺を選んだ理由を聞くことはできませんが、もしこれが事実なのであれば喫緊に取り組まなければならないのではないでしょうか。
残酷に聞こえるかもしれませんが、
少子化を懸念して「LGBTに関する教育をしない」のであれば矛盾していると思います。
正しい知識が深まらないことで若い世代が大勢亡くなっていっているのですから。
同性カップルと法制度
正直に申し上げて、法律についての知識は、一生懸命勉強した経験がないので、いち意見として受け止めてください。
同性パートナーに法律で認められた配偶者に相当する、同じレベルの権利を与えたい場合。
例えば遺言書など…様々な法律を駆使することで、ある程度はカバーできるようです。
ただそれには、なみなみならぬ時間とあわせて、お金が必要です。
費用としては内容にもよりますが、15万円程度は必要なようです。
しかし、異性カップルは婚姻届を一枚書くだけで成立するわけです。
やはり「差」がありますよね。
たまに「養子縁組」の制度を利用しては?
と、仰る方もいらっしゃいますが、個人的には絶対いやですね。
なんで好きな人と「親子」にならなきゃいけないんでしょうか。
人によってその辺の感覚は違いがあるとは思いますが…
同性婚と憲法
と仰る方がいます。
果たしてどうでしょうか?
第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
「両性」って言葉が出てきますね…。
なるほど。
確かに抵触してしまそうです。
「夫婦」という文言も「男女」を想定に作られたもののように感じますね。
第14条
第1項
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
「同性婚」を認めないという方向性だと、第14条に抵触する気もしなくもないです…。
パートナーの性別によって結婚できたり、できなかったりするわけですから。
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
同性婚は「公共の福祉」に反するでしょうか?
僕は反しないと思います。
憲法って面白いですね。
角度によって見え方が変わるわけですから。
「同性婚」を認めても、認めなくても、憲法上で矛盾した状態になるという風に僕は感じました。
同性愛者を想定していなかったのですから、そうなっても不思議じゃないですけどね。
なので、憲法を理由に「同性婚」反対という意見の人には、疑問を感じます。
というか「同性婚」ってフレーズが、何か一部の属性の人に特権を与えるような負のイメージを植えつけているように思います。
性別の組み合わせに関わらず、成人している個人同士が互いの意思のもと、法律上、結婚できる状態になることを望むのであれば「婚姻平等化」というフレーズはどうでしょうか?
台湾ではこのフレーズが使われ、近く同性同士の婚姻が認められる見通しだそうです。
フレーズ自体、長いからだめかな…w
LGBTって欧米の概念でしょ?
そもそも『LGBT』という概念は、欧米の概念でしょ?
日本にはなじまないんじゃない?
…という言葉をたまに聞いたりします。
おっしゃるとおり『LGBT』とは米国で生まれた言葉で、もともとは社会運動のためのチーム名のようなものでした。
昔、米国では『ゲイ』という概念のみでセクシュアルマイノリティをひと括りにしようとしていましたが、無理があったようです。
どうゆうことか?
それは下記のとおりです。
【LGBTの歴史まとめ】
1960年代頃
同性愛者やトランスジェンダーなどセクシュアルマイノリティ(性的少数者)は全て「GAY」と呼ばれていた。
男性同性愛者以外の少数派は、比較的軽視されていた。
↓↓↓↓
1969年頃
レズビアンたちが「私たちはゲイではない」と主張し始める。
男性同性愛者と決別し、女性同性愛者だけで
社会運動をしようとする動きが始まった。
そして両性愛者たちは、「同性愛と異性愛の間で迷っているわけではない」と主張し始め自分たちを「バイセクシュアルだ」と宣言する人が現れる。
↓↓↓↓
1973年
米国精神医学会が精神疾患の診断基準から同性愛の項目を削除。
↓↓↓↓
1985年
米国ネブラスカでFtM(身体的には女性だが性自認が男性)が、レイプされ射殺される事件が起こる。
これを機にトランスジェンダーの権利団体が複数生まれた。
[参考] マンガでわかるLGBTの歴史(牧村朝子 著)
※上記マンガの著者の方が下記の動画(abemaTV)でも同様に説明されているので併せて…
要するに一旦、性自認や性的指向の違う人たちが仲間割れをしたけど、似たような立場だし一緒に戦おうよ!と言って再結成されたチーム名のようなものなのかな?
こうして米国で『LGBT』のような概念が生まれました。
セクシュアルマイノリティは世界中に人種や国籍を問わず必ず一定数います。
ただ少数派なだけで、存在を公言しにくい。
可視化されにくい。
そんな存在に「レズビアン」「ゲイ」「バイセクシュアル」「トランスジェンダー」という新たなラベルを用意してくれる形となりました。
もしこのような自分にしっくり来るラベルがなければ、僕はとても不安だったと思います。
たとえば「ゲイ」という言葉がなくて「ニューハーフ」という言葉しかなかったら…
「俺はどうしても男性に魅かれてしまう!
けど、女性の格好をしたいわけではない…
いったい俺は何なんだーーっ!ぷぎーーーっ!!」
…という感じになっていたかも知れませんw
だからそんなに「LGBT」という概念というか、外来語(?)に苦手意識を持たないでほしいです。
「LGBT」の人たちがいて、一番しっくりくるラベルがたまたま「LGBT」という言葉だったのだと思います。
たとえば今では当たり前となった「民主主義」という概念ですが…
もしこの概念がなかったら、もっと生きにくい人は多かったと思います。
「民主主義」という概念も海外から入ってきたもので、
外国語を日本語に置き換えたものです。
今の時代、外国から入ってきた概念は、そのまま外国語のまま拡散されてしまう傾向にあるので、日本語に置き換えるのは難しいかもしれないですが…
日本は海外から入ってきた概念や価値観を
自分なりに上手くカスタマイズする能力があると思います。
なんかもっといい形で、すんなり受け入れてもらえたら当事者としては嬉しいです。
最後に
僕の意見に反対の人も賛成の人も、いちゲイのたわ言と思って受け止めてもらえたら幸いです。
LGBTは日本で13人に1人。
苗字でいうと、佐藤さん・田中さん・鈴木さん・高橋さんの数を合わせた数より多いそうです。
LGBTは沢山いるわけで、その中の
いち個人である僕が言ってる意見に過ぎないのですからw
ぜんぜん違う意見をお持ちだとしても、目くじら立てないでいただけたら有難いですm(_ _)m
最後まで長々と僕のブログなんかにお付き合い下さり、ありがとうございました。
またなんか思うことがあれば書きまーす(^^)