Twitter上で「カミングアウト重荷論」が一部炎上 (ysy#52)
はじめに
コンにちは!よしや(ysy)です!!
今回は同性愛者を中心にTwitter内で起こっている「カミングアウト」の是非や仕方について巻き起こっている「プチ炎上(?)」について、自分なりの考えを織り交ぜながらご紹介していきたいと思います。
よろしければ、お付き合いください!
カミングアウトについてのプチ炎上(?)って…?
元月刊G-men(ゲイ雑誌)編集長の冨田格(いたる)氏がツイートした内容が、一部で炎上しています。
当該、ツイートは下記のとおりです。
最後にこれだけは忘れて欲しくないこと。
— 冨田格(いたる) (@itaru1964) 2018年11月17日
もし、ゲイだということがとても重荷で君が楽になりたいためにカミングアウトしたいと考え他場合、カミングアウトされた人は君の重荷を一方的に背負わされることにならないだろうか?
カミングアウトは勢いでするのでなく、その前にじっくり考えよう。
これは、冨田氏にDMで「カミングアウトについてどう考えるか?」という質問をした方がおり、それに対する考え方をつぶやいた長文ツイートの最後の部分になります。
これに対して、下記のような反応がTwitter上で見られました。
ブルボンヌ氏(女装パフォーマー、ライター )
カミングアウト重荷論については、自身の内なるフォビアがまるで解消できない段階で罪や恥の告白のように伝えるのでは、相手もしんどいわな、という感覚は分かります。ルポール先生の「人を愛したいならまずは自分を愛しなさい」につながる鏡の話。けろっと出来ちゃう人は周りもさらりと受け入れがち。
— ブルボンヌ (@bourbonne_campy) 2018年11月19日
マサキチトセ氏(ライター、YouTuber)
「同性愛のカミングアウトは相手に重荷を背負わせることになる」という旨のツイートを見たんだけど、これは同性愛者のみならずガン告知を受けた人や精神障害を持つ人、生活保護を受けている人など、ぱっと見で判別できない属性を持つ人々全ての口を塞ごうとするものであり、非常に悪質です。
— マサキチトセ (@GimmeAQueerEye) 2018年11月17日
タカシマルクス氏
「カミングアウトしたら、された相手に重荷になることも忘れるな」
— タカシマルクス (@MarxTakashi) 2018年11月18日
いや、言いたいことは、わかりますよ。相手の気持ちに寄り添うことは必要。でもね、根本的にその姿勢を続ける限りいつまでも「強者」や「異性愛者」の目線でしかないんですよ。
いい加減、名誉マジョリティでいること、やめないと。
「悪質」という言葉を使って徹底的に批判する人もいれば、一定の理解を示す人も…
一体、冨田氏は何が言いたかったのか?
冨田氏のツイート全文
当該ツイートの全文を見てみたいと思います。
下記は冨田氏のツイートです。
先日、ある方から「カミングアウトについてどう考えるか?」という質問をDMでいただいた。
その時に、ゲイの学生にもし「カミングアウトするべきでしょうか?」と尋ねられたらどう答えるだろうか? と考えた。
そこで自分の考えがまとまったので、記しておく。
1)カミングアウトで生じるリスクを受け止める覚悟をせよ
カミングアウトすると予想外のハレーションが起きる可能性もある。
カミングアウトされたら「正直に話してくれてありがとう」と言おう、とか、アウティング(他の人に話す)はいけないことだ、ということは多くの人には全く浸透していない。
つまり、あなたがカミングアウトした人が、そのことをどう受け止めるのかは全く分からない。
何気なく、誰かに話してしまうかもしれない。もしかしたら悪意を持って広める可能性だってある。
そうなった場合、あなたに降りかかってくるかもしれないリスクは全て自分で受け止めなければならない。
もちろん、カミングアウトした相手がすごく理解があって、他の誰にも離さないで、君との友情が変わらない場合もある。
でも、上手くいくことだけを期待してカミングアウトしてしまうと、上手く行かなかった場合のダメージはより大きくなる。
最善の場合と最悪の場合、どちらも想定しておくことが必要。
2)カミングアウトで関係性が変わる覚悟は持つべき
これは個人差もあることだけど、カミングアウトした相手がそのことをきちんと受け止められなかったら、君を拒絶するかもしれないし、君と少し距離をおくようになるかもしれない。
もちろんより仲良くなる場合だってあるし、全く変わらない場合もあるカミングアウトした相手との関係性がどうなるのかは、その相手の個性にもよるし、君との相性も関わってくるかもしれない。
一概には言えないことだからこそ、カミングアウトすることで、その人との距離をより縮めることができるかも、という一方的な甘い期待を抱いてはいけない。
たしかにアウティング(=セクシュアリティの暴露)はいけないことだと、NHKや民放の報道番組などでも報じられています。
けれど、どこまで浸透しているかは正直、未知数ですね。
LGBTを含む時事問題に関心が高く、柔軟な考え方の持ち主…とかでない場合、冨田氏の言うとおりのリスクは高いでしょう。
3)告るカミングアウトは特に注意が必要
好意を持っているという告白を兼ねたカミングアウトの場合、相手が「性的な好意」を強烈に意識してしまい、生理的に拒絶される可能性が高くなることは理解しておくべき。
「友人がゲイだった」
「友人がゲイで俺に気がある」
この2つは大きな違いがある。
もちろん、人によっては好意も受け入れてくれて、一回くらいやらせてくれる人もいるかもしれない。
しかし、ノンケは賢者タイムになった瞬間に、とてつもない罪悪感に苛まれて君との距離をおいてしまうようになる可能性も高い。
あくまでノンケなのだから、君が望むような恋愛関係になる可能性は低い。
君だって、女の子から「告られて」迫られたら困るよね。
立場を変えて考えれば、生理的に無理という気持ちは理解できるはず。
それと同じ思いを告るカミングアウトをした相手にさせるのだ、ということは分かっておいた方がいい。
実は相手もゲイで君のことを好きだった、という展開も皆無ではないけど。
「一回くらいやらせてくれる」云々の話は僕には、ちょっとよく分かりませんが…
異性愛者を好きになったときの気持ちって、性的行為をしたいとか、そんなシンプルなものだけではないはずなので…。
ただ…
「友人がゲイだった」
「友人がゲイで俺に気がある」
この二つが大きく違うというのは、確かでしょうね。
友人に告白をされたら、それに対して答えなければならないわけで…
気のない友人に告白をされたら…
確かに誰だって気まずい思いはするかも知れません。
しかも、それが異性ではなく同性だった場合、より想定外過ぎて、受け手は混乱するかもしれませんね。
4)カミングアウトする相手は慎重に選ぶべき
今までのことを理解した上で、それでもカミングアウトしたいと考えるならば、その相手を周到に選ぶことが大切。
その人が、ゲイに対して差別意識を持っているのかどうかを慎重に見極めてから、カミングアウトするかどうかを考えよう。
君が、カミングアウトをすることで自分が幸せになれる、生きやすくなると本気で思えるならすればいいだけのこと。
「カミングアウトするべきだ」と、誰かにそそのかされてするものでは決してない。
もし、カミングアウトして悪い結果になっても、誰も助けてはくれないのだから。
「カミングアウトして悪い結果になっても、誰も助けてはくれないのだから。」
この言葉は本当にそうだと思います…。
基本的には誰も助けることはできません。
だからこそ、カミングアウトは慎重に行うべき…
確かにそのとおりです。
最後にこれだけは忘れて欲しくないこと。
もし、ゲイだということがとても重荷で君が楽になりたいためにカミングアウトしたいと考え他場合、カミングアウトされた人は君の重荷を一方的に背負わされることにならないだろうか?
カミングアウトは勢いでするのでなく、その前にじっくり考えよう。
こうやって全文を見ると、なんとなく冨田氏の言いたいことも分かりますし、そんなにズレているとも個人的には思いません。
事実を真っ直ぐに受け止めた正直なご意見だと思います。
ただ、関係にもよりますが、友達や大切な人と「重荷」をシェアしてお互い生きやすいように、助け合ったり、理解しあうことは大切なこと。
「一方的に背負わされる…」という言葉はかなりきつい印象を持ちますが…
その時の相手の状況やコンディションなど鑑みて、なるべく良いタイミングで慎重にカミングアウトを行わなければ、冨田氏の言うとおりになってしまうのかもしれません。
結局のところ「メディア」と「教育」では?
結局のところ、マイノリティは常にマジョリティに配慮しなければならないのか?
…という疑問が生まれてしまいそうですが、現実社会で性的少数者(セクシュアルマイノリティ)は、まだまだ認知されていないため、やむを得ないのかもしれません。
個人的に、社会全体の解決方法として…
- メディアで正しい情報を発信し続ける
- 教育現場でセクシュアルマイノリティを取り上げる
この2点で、社会の認識を変えていく他ないのではないか?
と感じています。
たとえば、僕が受けた性教育は異性愛者を前提としたものでした。
当然、同性愛者が授業を受けていることは全く想定されていません。
教師が同性愛について触れたのは
「男同士でセックスをするとエイズになるからしないように」
と、かなり偏見にまみれた情報のみでした。
確かに“男性同士の性行為の内容によっては”、HIV感染のリスクが上がる可能性があります。
それを授業で取り上げる、取り上げないは置いておくとして…
その言い草はないのでは?と未だに少し憤っていますw
様々な性や性的指向があるのを、授業で取り上げるのは難しいことではないと思います。
たとえば上記の動画のような教材を使えば
「子供たちは先入観なく性的少数者を理解できるのではないのかなぁ?」
と思います。
最後に
以前ブログに書きましたが、実は昔僕はカミングアウトでかなり痛い目を見たことがあります…。
時代は今と異なりますが、カミングアウトをお考えの方やご興味のある方はご覧いただければと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、また!!